ずっと住み続けたい清田区に全力疾走! 日本共産党清田区市政相談室長・吉岡ひろ子です

〔ニュースと活動報告〕

北海道地震災害の被災地から

北海道地震災害の被災地から

日本共産党の𠮷岡ひろ子清田区市政相談室長(札幌市議予定候補)は、9.6北海道胆振東部地震で大きな被害を受けた札幌市清田区での救援活動の様子や復興へ向けた課題などについて、日本共産党中央委員会発行の『月刊学習』12月号に原稿を寄せました。

『月刊学習』編集部の好意により転載します。

なお、転載にあたって漢数字を算用数字に改め、単位の表記をアルファベット等に改めました。

清田区内567軒を訪問、被災者の声を行政に

札幌市清田区市議予定候補   吉岡ひろ子

清田区,安平町,厚真町,札幌市,震源地,むかわ町の位置図

札幌市清田区は、札幌市10区の中で一番新しい行政区で、昨年、誕生から20周年を迎えました。区内中央を流れる厚別川の両側につながる河岸平地は、かつて札幌第一の米産地帯で、美しい清らかな水田地帯という意味で「清田区」と命名されました。人口は11万5272人、4万6297世帯(10月1日現在)。札幌市内で地下鉄もJRも開通していない、軌道系交通網がない唯一の区でもあります。

道路の地盤沈下が最大3m

9月6日午前3時過ぎに発生した胆振東部地震は、北海道で初めての震度7、札幌でも震度6、清田区は震度5強を記録しました。清田区の住民が1人亡くなり、負傷者は市全体で297人にのぼっています。

道路が最大3m地盤沈下し、テレビでは、突き出たマンホールの衝撃的な映像が繰り返し放映され、「清田区里塚」は一気に全国に知られるところとなりました。清田区の清田、美しが丘地区でも同様に液状化による被害が起きています。罹災証明による清田区の住宅被害は、10月22日現在、全壊78(市全体被害棟数の88%)、半壊244(同51%)一部損壊1407(同42%)に上っています。

6日から7日にかけて、避難所を8カ所訪問して、状況を聞き取りました。6日から、党国会議員団が現地調査、被災者のお見舞いに訪れました。紙智子参議院議員、高橋千鶴子衆院議員、党9・6北海道地震対策本部の畠山和也事務局長(前衆院議員)、17日には小池晃書記局長が視察に訪れ、北海道議団や札幌市議団もたびたび清田区内を調査しました。

清田区真栄地区出身の紙さんは、大きな被害のあった里塚は「子どものころ、遊びに行ったときに渡った川があったところ」と話していました。今は暗渠(あんきょ)になっている三里川(さんりがわ)は、かつて川があった地域だとわからなくなっており、住民の中には盛り土をして宅地造成された地域であることを知らない人も少なくなかったと思います。

被災直後から寄せられた要望の解決に取り組むなど、追い立てられるように時間が過ぎました。震災当日には17カ所あった避難所は2日後、電気がつながるとともに減り、避難していた方は仮設住宅や「みなし仮設住宅」などに引っ越して、すでにすべて閉鎖しています。

9月10日、震災後初めての札幌豊平・清田・南地区常任委員会が開かれ、道委員会作成のパンフレット『災害救助対策 諸制度活用の手引き(2018年版)』(『手引き』)を持っての被災者訪問が提案されました。清田区委員会は、時には1日に何度も会議で意思統一しながら、緊急の支部長会議も開いて議論し、15~17日と23日の4日間、訪問活動に取り組むことにしました。対象は、地震直後に札幌市による住宅の「応急危険度判定」を受けた538軒、里塚・清田・美しが丘の住民と、その周囲のお宅です。

「党の腕章を誇らしく感じた」

「共産党と言って訪問し、どれだけの人が対応してくれるか」と不安な気持ちを胸にしまいながら、「日本共産党」の赤い腕章を身につけ、2人一組で訪問を開始しました。実際に歩いて実感したのは「こんにちは。日本共産党ですが、お困りのことはありませんか?」と言うと玄関の戸が開くことでした。疑わしそうにしていた男性は、党の腕章を見せると安心した様子で「いろんなやからが来て迷惑してる。こんな時に詐欺まがいのまで来る」と話してくれました。

「何百万円もお金をかけてリフォームしたばかりなのに家が傾いた。どうしていいかわからない。傾いているのでめまいがする」「近所の人とはつきあいがなく話をしていない。地震後初めて話して安心した」と涙ぐむ方々。「子どもがアトピーなので古い市営住宅には移れない」「避難所や仮設住宅はペットを連れていけない」「余震がこわくておちおち眠れない」「土地の価値がなくなってしまった。高齢になったら家と土地を売って施設に入ろうと思っていたが、これじゃだれも買ってくれない」「地盤が安全だという証明がほしい」などと不安な思いを多くの方が話してくれました。また、「娘のところに避難したけれど寂しくて戻った。お互い一人暮らしのお友達と話せるここが一番安心」と、道路で立ち話をしていた高齢の女性は、地域の人とのつながりの大切さを語りました。

4日間7回の行動には、のべ62人が参加、567軒を訪問、324軒で対話し、『手引き』523部を渡しました。けっして大きいとは言えない清田区委員会が、当初少なくとも300軒は頑張ろうと考えていたのが567軒を訪問できたのは、私たちの訪問を住民のみなさんが待っているという思いに突き動かされたからです。

訪問活動は、党として被災住民に寄り添う活動の土台となりました。活動を通して、町内会の役員と知り合い、地域と信頼関係をつくることができました。また、「国民の苦難軽減」のためという創立以来の党の活動に誇りと確信を深めることができたと思います。参加した党員は「党の腕章がこんなに力強く誇らしく感じたことはない」と語っています。同時に、被害は深刻で、住民の不安や行政への不満の声をしっかり届けなければとあらためて痛感しました。

住民説明会で冷たい市政に怒り

震災から1週間後の9月13日、里塚地区で開かれた市の住民説明会は、「原因調査に3カ月かかり、本格的な復旧工事は来春」という市の説明に、「3カ月後では屋根に雪が積もる。家が傾いた状態で住むなんて不安でしょうがない」「なぜ造成を許可したのか」「これからも暮らしていけるのか」など住民から抗議や質問があいつぎ、1時間の予定が約3時間半と紛糾しました。また、以前から地盤沈下を札幌市に訴えたのに「問題ない」といわれ、抜本的な措置を取ってくれなかったこと、市政の責任者である秋元克広市長が参加していないことが、住民の怒りを買いました。

9月27日、道委員会の政府交渉に、紙さんや畠山さん、太田秀子札幌市議、北村修むかわ町議とともに参加しました。私は、液状化で地盤沈下した道路から1.5m突き出たマンホールの写真などを示しながら、仮設住宅・「みなし仮設住宅」の入居条件(半壊は住める状態でなくても「除外」)の拡大や、清田区清田の液状化による崖くずれ対策や土砂の撤去、地盤調査に対する国の支援を訴えました。国交省の担当者の回答は、「補助事業はあるが、それを活用するかどうかを決めるのは自治体で、国からは自治体に対して指導はできない」というものでした。

翌日の対市交渉では前日の政府交渉での回答をふまえ、住民説明会や訪問したときに出された要望など10項目(*)を求めました。前日の地盤調査への支援要求に対する国交省の回答を紹介し、「国からの補助金は市町村が決定しなければ出ません。決断してください」と強く訴えました。

[*]①被害家屋すべての調査、②支援金給付と市独自の助成で住宅再建を支援、③住民の意向にそった住宅の確保と支援、④液状化の危険地域の総点検と「大規模盛土造成地マップ」への記載、⑤「地域防災計画」に液状化対策を位置づける、⑥急傾斜地崩壊危険箇所の総点検、⑦里塚地区の復旧計画を早急に住民に示す、⑧住宅地の土砂・コンクリートの撤去を公費負担に、⑨2回目の里塚地区住民説明会の実施、⑩地盤沈下被害が出ている里塚地区以外での地盤調査と対策。

10月18日、里塚地区での2度目の説明会には秋元市長は参加したものの、住民から「識者が開発(宅地造成)する土地でないといっている。許可した札幌市に責任はないのか」と質問されて、「川は水の処理をすれば良い。法律に基づいて計画通りやっている。その時点で責任は果たしている」と答えました。心ない回答に住民から「市長は冷たい」の声とともに、「本当に住める所なのかどうか調査してほしい」と強く要望が出されました。「住宅を壊さなければならないか、補強して住めるのか、住宅会社に連絡しても来てもらえない。市の職員に来てほしい」との要望に、やりとりの中で職員を派遣することとなった一幕もありました。また、全壊住居の撤去費用は全額公費で支払うと報告されましたが、後日の市議会で「半壊」についても同様の措置がとられることが決まりました。

住民説明会は、美しが丘、清田中央町内会でも10月に開かれ、里塚は11、12月も予定し、清田有楽町内会も説明会を要望しています。住民説明会は、住民の要望が明らかになり、情報や問題を共通認識にするためにも、重要な場だと感じています。里塚地域の住民が結成した「里塚中央災害復興推進の会」とも連携しながら、住民要求実現に努力したいと思います。

粘り強く被災住民の要求実現に努力

10月2日、市議会で小形香織市議が代表質問し、地盤沈下した場所の住民の訴えを紹介、道路が陥没していることを市に訴えても「市は舗装の上塗り程度で放置していた。こうした市の対応に問題はなかったのか」と迫りましたが、市長は「液状化は、……日常の地盤沈下とは事象が異なるものと考えている」と被災住民の憤怒を、いともあっさり退けました。〝市の対応は納得できない。本当に悔しい〟── 涙とともに語った住民の声をじかに聞いた者として、市長の答弁は許せない思いでした。

これまで手探り状態の中で1月半、さまざまな取り組みと発信をしてきました。被災住民の救援・復旧のために、国の制度があっても条件が厳しく、活用するのは並大抵のことではありません。どんな制度があるのか、全国的な実例を調べ、それをふまえて市議団が制度の活用を市に粘り強く働きかけるなかで、市は活用に向け、ようやく重い腰をあげつつあります。清田区委員会では、この間の被災者支援活動を知らせる「清田区新聞」号外の発行準備を進めています。

歴史的な意義を持つ参院選と一体の来春4月の市議選(清田区=定数5)は、私にとって4度目の挑戦です。市政に住民の声をしっかりと届け、誰もが安心して住み続けられる札幌市にするために、必勝の決意です。

(よしおか ひろこ)

『月刊学習』18年12月号より

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