母を頭に12人兄弟の、2番目の叔母が亡くなり、5日夜お別れの会がありました。
私が小学校5年の時、札幌に引っ越して、初めて美園に住んでいた叔母の家を訪れました。
お土産に買った大きなスイカを提げた47歳の父と、41歳の母と歩いたことと、初夏の日差しと汗ばむ陽気が、つい昨日のように思い出されます。
叔母は母以上の苦労人でした。いとこの言葉を借りると「母の92年の人生はあっぱれでした。そして大往生でした」――。
久しぶりに会った叔母達は、相変わらず元気でした。
稚内の70歳の叔母は、夏はゴルフ場と居酒屋の仕事を掛け持ち。札幌の79歳の叔母はまだ仕事を続けています。
私もうかうかしてはいられない――という気にさせられる叔母たちです。
そして8日は、娘の夫の妹さんの結婚式でした。
妹さんは名古屋、新郎は岩見沢在住で農業青年ですが、縁あって結ばれました。
「ご両親へのお礼」として、妹さんが弾いたパッヘルベルの「カノン」はお父さんとの思い出の曲――照明を落とした薄暗い会場で、何度も目頭を押さえる新婦のお父さんの姿が印象的でした。
「別れ」に「出会い」があって、「出会い」には「別れ」がある――生きるという事は、「出会い」と「別れ」の狭間にあるのかもしれない。
(11月11日記)