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礼文島生まれの母は、2歳の姉をつれて、戦後樺太から引き揚げてきました。
子どもは姉と私の2人だけとはいえ、ご多分に漏れず貧しく、ベニヤ工場、豆腐屋、飯場や病院、パン工場のまかない婦など、働き続けてきました。
88歳の今は、週に2回のカラオケが、何よりの楽しみです。
ゴールデンウイークに姉と3人でカラオケに行った時にも、一番声が出ているのが母で、気持ちよさそうに歌うのです。
5月9日の母の日、懐メロのCDとラジカセを贈りました。「懐かしい、懐かしい」と言いながら、次々と歌っていました。
5、6年前の母の日に、三男坊に言われて、流し台のドアを開けると、真新しい、立派な包丁が置かれてありました。
わたしが何気なく「家はろくな包丁がないなあ」とつぶやいていたのを聞いていての、母の日のプレゼントだったようです。
今年は4人の子どもたち、そろいもそろって音沙汰ありません。
まあ、元気で暮らしているのが何よりですかね――。
(5月12日記)
「清田区新聞」10年05月16日付より