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日本共産党
清田区市政相談室
(吉岡ひろ子事務所)
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WEB「清田区新聞」

日本共産党と民青同盟

新成人を祝福、激励

成人の日の12日、日本共産党と民主青年同盟は、清田区の成人式の会場である清田区体育館前で成人を迎えた若者たちに成人を祝福し、日本共産党を紹介する宣伝活動を行ないました。

新成人を祝福晴れ着で成人式会場に向かう新成人を祝福する吉岡氏(右から2人目)と民青同盟員、党後援会員ら=12日、清田区体育館前

吉岡ひろ子党清田区市政相談室長をはじめ、党清田区後援会員ら6人と民青同盟員4人が参加、晴れ着姿で会場に向かう新成人に「成人おめでとう」「いっしょに力をあわせ政治の中身を変えよう」と声をかけながら、日本共産党を紹介する「ほっかい新報」号外と志位和夫委員長の派遣労働問題の国会質問と、党創立記念講演を収録したDVDを手渡しました。

会場前では民青同盟員が「いまの政治や社会に満足していますか? 社会をよくするために、あなたはどうしようと思いますか?」など、新成人の関心や意識についてのアンケート活動にも取り組みました。


ルールある経済社会への一歩を踏み出す年に

清田区革新懇新年初の「9の日」行動

「9の日」行動

清田区革新懇は九日、西友清田店前で毎月9日に行っている「9の日行動」に取り組み、加盟団体などから9人が参加しました。(写真)

清田区革新懇松崎事務局員が「きょうは今年初の9の日行動。国民が安心して暮らせる日本にするための大きな一歩を踏み出す年にするため力を合わせよう」と呼びかけ、加盟団体代表が次々にマイクをとりました。

新婦人清田支部小林平和部長は1947年に文部省が教科書として発行した『あたらしい憲法のはなし』を紹介、「政府はかつて平和憲法を国民にひろげようとしていたのに、アメリカの言うままに9条改憲を狙っている」とし「世界の宝、憲法九条を守りひろげよう」と呼びかけました。

吉岡ひろ子日本共産党清田区市政相談室長は「年越し派遣村」に触れ「莫大な利益を貯め込みながら、景気悪化の犠牲を労働者に押し付ける大企業の『派遣切り』に国民の大きな怒りが。労働者が突然仕事も住居も奪われるようなことは働くルールを破壊した『政治災害』。政治の責任が問われている」と述べ、「アメリカ言いなり、財界言いなりの政治に未来はない。今年こそルールある経済社会をつくる大きな一歩を踏み出す年にしよう」と呼びかけました。

清田区革新懇小倉世話人は政府が「海賊対策」と称してソマリア沖への自衛隊の派遣を計画していることに触れ、「自衛隊の海外での武器使用、戦闘行為に道を開く危険なもの。周辺諸国の警察行動への海上保安庁の技術的・財政的支援こそすぐやるべきこと」と批判、「すぐやれることには手をつけず、自衛隊の海外派遣を自己目的にする計画には断固反対しよう」と訴えました。

革新懇の訴えに、買い物客やバスを待つ人、通りかかった高校生や若者などが次々に「憲法改悪反対」の署名に応じ、短時間で25筆の署名が集まりました。「派遣切り」についての訴えを聞いて駆け寄ってきた若者は、「自分も『派遣切り』にあって実家に帰ってきたところ。こんなひどい世の中をなんとかしてほしい」と話し、署名に応じていました。

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新しい政治への一歩印す年に

地下鉄駅頭で党後援会が定例宣伝

訴える吉岡氏と村岡氏訴える吉岡氏と村岡氏=13日、南郷18丁目駅

日本共産党清田区後援会と吉岡ひろ子事務所は13日朝、地下鉄南郷18丁目駅頭で定例の宣伝を行い、後援会員ら6人が参加しました。

村岡忠義後援会長が「必ず総選挙のある今年こそ日本共産党を前進させる年にしたい」と決意を述べ、吉岡ひろ子党清田区市政相談室長が経済、雇用問題や政局などに触れ、党の緊急対策を解説、「新しい政治への一歩を印す年にしたい」と新年の抱負を述べ、党への支援を訴えました。

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平岡九条の会新春平和講演会開く

新春平和講演会

平岡九条の会は8日、道革新懇世話人の山下忠孝氏を迎え、「新春平和講演会」を開催し、会員ら24人が参加しました。(写真)

参加者は、世界と日本の戦争勢力と平和勢力の対比で世界を捉える見方を学びました。

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コラムコラム「清風」

 北海道ウタリ協会の理事長を32年にわたって務めた野村義一さんが昨年12月28日に亡くなった。私は、何回かお会いする機会があったが多くの事を教えてくださった偉大な方だった▼当時の小笠原貞子参議との会談をようやく実現させ、アイヌ民族の要求を国会や、関係省庁へ足を運んで要望するなかで、野村理事長はすっかり小笠原ファンとなり選挙ハガキの推薦人に名前を連ねてもくださった▼野村理事長が小笠原議員と接するなかで、日本共産党をどのように見るようになられたのか。95年11月、小笠原さんを偲ぶ集いでの野村理事長の追悼の言葉を紹介したい▼「アイヌ民族にとって未来永劫忘れえぬ人……」「私は保守的な人間であったが、先生とお会いしてから考え方が変わり、政治家はイデオロギーや政党で判断するのでなく、その人が政治家として国民のためにどんなに一生懸命に政治の場で働いてくれるかどうかでその人を見なければならないと言う事を先生と接する中で教えられたのです。……」(穂)

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「清田区新聞」09年01月18日付より