Since 2007/03/08
カウンタ

日本共産党
清田区市政相談室
(吉岡ひろ子事務所)
〒004-0832
札幌市清田区真栄2条1丁目8-7
TEL:
011-888-6777
FAX:
011-888-6776

WEB「清田区新聞」

被災地はまだまだ救援を待っている

国の無策に怒り

急がれる生活再建

日本共産党清田区委員会は28日、「救援ボランティア第1次派遣報告会」を開催、34人の区民が集まりました。

この報告会には、宮城県気仙沼市に派遣された5人のうち、吉岡ひろ子党清田区市政相談室長ら4人が出席しました。

写真などを投影しながら報告する吉岡さん写真などを投影しながら報告する吉岡さん=28日、清田区民センター

最初に、党清田区委員会の小倉さんが、今度のボランティア派遣に多くの募金、物資が寄せられたことへの感謝がのべられ、12日に出発し18日に帰着した日程の概要を報告。吉岡さんら4人の要員が紹介されました。

現地での写真を投影しながら報告した吉岡さんは、「現地では津波の爪あとに全く手付かずのところも。まだまだ救援の手が必要。党の支援は確実に被災者に勇気と希望を届けています」とのべ、関東大震災、三陸大津波など党の救援活動の伝統を紹介。「国民の苦難軽減のために奮闘することは立党の精神」とし、党の二つの提言を掲げて活動を強化する決意をのべました。

出席したボランティア参加者がそれぞれ報告。「支援に入ることで明るさを取り戻した人も。救援の役割は大きい」「現地では国の無策と政治の堕落に怒りが満ちている」「弱みに付け込んだり、復興を当て込んだマネーが動き回り、生活再建のための国の支援を急がないと、被災者の生活再建が不可能になってしまう」などと口々に訴えました。

ページ先頭へ


吉岡さん救援強化を決意

被災者救援は立党の精神

救援ボランティア、市議会論戦などを報告する吉岡さん救援ボランティア、市議会論戦などを報告する吉岡さん=28日、地下鉄南郷18丁目駅前

日本共産党清田区後援会と吉岡ひろ子党清田区市政相談室長は28日朝、地下鉄南郷18丁目駅前で定例の街頭宣伝を行いました。

マイクをとった田中秀夫後援会長は菅政権の震災・原発対応に触れ、「被災者の生活再建を第一に考えるべき。原発は期限を切った撤退の決断を」とのべ、復興構想会議の提言について「被災者の願いをおさえ込み、『復興税』名目で消費税の増税を狙うもの」と厳しく批判しました。

吉岡さんは震災救援ボランティアに参加したことを報告。「被災者には長期のケアが必要です」と強調。「被災地では国の対応の遅れがあらゆる分野で深刻」と指摘、「救援活動は立党の精神」として党の救援活動への支援を訴えました。また1449人の震災遺児問題に触れ、「速やかな対策を」とのべました。さらに「復興構想会議提言は被災者の頭越しもので震災を口実にした増税を狙うもの」と指摘し、党の大震災と原発ゼロへの二つの提言を紹介しました。そして札幌市議会で上田文雄市長が泊原発のプルサーマルに反対を表明したこと、道内の市町村議会で「脱原発」決議が相次いでいることを紹介、「まさに原発からの撤退と泊原発の安全対策を求める道民合意をめざす時です」と呼びかけました。

ページ先頭へ


雇用・くらしのSOS

6.28街頭相談会に52件

街頭相談会 雇用・くらし・SOSネットワーク北海道は28日、街頭相談会を地下歩道空間広場(駅前通地下)で開きました。

弁護士や司法書士、医療、労働組合、職業病対策団体の関係者、生活と健康を守る会の相談員などが、くらしや労働問題などの相談を受け付けました。

この相談会には生活問題や、給与未払い、医療や介護など、52件の相談が寄せられ、生活保護申請になった相談が8件あったほか、すぐに病院を受診することになった方もいました。

ページ先頭へ


気仙沼ボランティア奮戦記

第一次救援ボランティアの一員として宮城県気仙沼市に派遣された吉岡ひろ子党清田区市政相談室長が「ほっかい新報」07月03日付に寄せた手記を紹介します。

気仙沼ボランティア奮戦記

被災地で訪問聞き取り

日本共産党札幌清田区市政相談室長 吉岡ひろ子

豊平・清田・南地区委員会の第1次救援隊5人(女性1)は、12日夜、苫小牧港を発ちました。仙台港が近づくにつれ、海は暗く濁り、海面には沢山の浮遊物が津波と地震の恐怖を間近に引き寄せました。仙台港から海岸線を車で走りました。

気仙沼市本吉は右に海、左に山という起伏に富んだ地形です。坂道を上ると人の気配のある集落が現われホッとする間もなく、下り道の先には荒廃した集落が現われる…。午後1時、プレハブ建て仮設気仙沼市委員会着。

4日間で、私は支援物資の整理、下水など外の泥だしや建物の中の泥だし訪問活動と、いろいろな角度から体験できました。今回は、訪問活動に限って報告します。

4日目、私は、函館地区や道委員会の女性と訪問聞き取り行動をしました。

秋山市議の説明を受け、「死んだ町」と言われている、大川の向かい側の町を視察。通りがけの男性が「このあたりだけで何百人も遺体があがった」と。

海と川の両方からの津波に襲われ壊滅し廃墟と化し、動くのは瓦礫処理のためのクレーンやトラック、作業員のみ。

この日のために用意した赤いつなぎこの日のために用意した赤いつなぎ

その後私たち訪問隊は「生き残った町」といわれる地域を、2組に分かれてまわりました。

「生き残った」とはいえ、訪問した1区画17軒のうち6軒は明らかに空き家。8軒の方と話ができました。

1階天井近くまで浸水しても「半壊」と査定され、多くのかたは1階が全く住めない状態でも「全壊」にならないことに不満を抱えています。

写真屋を営んでいる男性は堰を切ったように「今朝、国民金融公庫にお金を借りに行った。50万でも、と頼んだけれど保証人がないとだめだとことわられた。こんな状態で誰に頼めるんだ。夫婦で泣いて帰ってきた。もう俺は金輪際税金は払わない。このあたりの地代が2〜3倍になって地元の店がやめてしまって、そこに大手がはいっている」と怒っていました。

「近くの南気仙沼小学校は廃校になって毎日送迎して隣の小学校に通学している。大変だから引っ越ししたいが…」という若いお父さん。

そんな中で「共産党が一番早く3回も物資を提供してくれた。本当に感謝している」との声も。

遠慮がちに訪問する私たちを「よく北海道からきてくれたこと」と歓迎してくれました。

4日間の活動で、希望を見いだそう、どこでどう生きていこうかと迷い、悩んでいる被災者が前に進むためのささやかな力になりえたのではないかと思います。

何よりも、国からの押し付けでなく「被災者の声を」「現場の願いを」くみ取った復興を!

見聞きしたこと感じたことを、多くの方に伝えなければと思っています。

支援物資の提供や救援募金に協力してくれた皆さん、私たちボランティアが、作業や宿泊ができるよう環境を整えてくれた道委員会先発隊のみなさん、本当にありがとうございました。

ページ先頭へ

コラムコラム「清風」

福島原発事故により札幌市に避難し、生活保護を利用していた人が、東電からの補償金、75万円の扱いをめぐって「収入認定」され「生活保護が廃止」されたとの新聞報道があった▼生活保護法には「国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする」とある。被災者は、これまで大変な思いをし、ようやく生活の場を札幌に求めたが、これからの生活再建を考えると、多少の貯えは当然だ▼この事情を考慮しないで少しの貯えも認めないとすれば、自立への手立てを失わせる事になる。「収入認定」が人をダメにしてしまう。(関)

「清田区新聞」11年07月03日付より