Since 2007/03/08
大震災と福島第一原発事故から3カ月になる11日、震災救援復興と原発ゼロへの行動が全国で取り組まれました。その一環として清田区の党と後援会は、国道36号線沿いの西友清田店前で、震災救援募金と「原発ゼロ」めざす署名に取り組み、党員、後援会役員ら7人が参加しました。
マイクをとった田中秀夫後援会長は「国は原発ゼロへ期限を切ったプログラムを策定し踏み出すべき。いっしょに運動すすめよう」と呼びかけました。
吉岡ひろ子党清田区市政相談室長は「あすから1週間ほど被災現地に救援に。3・11を決して忘れず、これからも毎月11日を震災復興・原発ゼロの日として取り組みます」と決意をのべました。
宮城県気仙沼市から党豊平・清田・南地区委員会が派遣した救援ボランティアの第1報が届きました。
貴重な救援募金と支援物資をお寄せいただき、ありがとうございました。
12日、支援物資を満載した自動車で第1次ボランティア5人が、夜7時、苫小牧発のフェリーで出発。
翌朝、仙台港が近付くにつれ漂流物が多くなり海は茶色に。フェリーから降りてまず目に飛び込んできたのは、津波によって破壊された工場の建物や電柱、自動車の残骸です。
私たちは少しでも大震災のつめ跡を把握しようと、海岸線を通ることにし、多賀城市、塩釜市、東松島市、石巻市、登米市を通って気仙沼市に向いました。
海に近い家屋は津波で破壊され、同じ海沿いでも高台では被害がほとんどない地域も。日本三景の一つ、松島では「松島が救った奇跡の旅館」の大きな看板。海に浮かぶ小島が防波堤の役割を果し、無傷で営業しています。
登米市の山道を通り、昼に気仙沼市の本吉地域に入ると、別世界と思うほど廃墟と化した街並みが。津波が川を一気に遡り、両岸の家屋を呑みこみ、がれきの街に一変させたのです。途中のどの町よりも被害が大きく、復旧が遅れていると実感しました。
午後1時ごろ党気仙沼市災害対策本部・救援センターに着くと、豊平・清田・南地区から宅配便で送った支援物資が届いていて、地元の人からお礼が寄せられました。
すぐ作業服に着替え、吉岡弘子さんは支援物資の仕分け作業、他の4人はセンターの近くの側構の泥出し作業を行いました。
9日、清田区革新懇は、国道36号線沿いの西友清田店前で、毎月9日を基本に行っている「9の日」行動に取り組み、核兵器廃絶、大震災被災者救援と原発ゼロ、憲法改悪反対、消費税増税や介護保険法改悪に反対しようと呼びかけ、「核兵器廃絶国際署名」と「原発からの撤退を求める署名」を訴えました。
田中秀夫代表世話人は、「原発事故は他の事故にはない異質さを持つもので地震国には立地できないものだ」と指摘。「原発ゼロへ期限を切ったプログラムを持つよう国に求めていくことは子孫への責任」と強調しました。
新婦人清田支部の小林平和部長は、「核兵器廃絶へ昨年のNPT再検討会議の成果を実らせるため、『国際署名』の取り組みを強め、原水禁世界大会を成功させましょう」と訴えました。
日本共産党清田区委員会の小倉さんは「菅降ろしなど被災者そっちのけの党略に明け暮れるかげで、民・自両党が、震災を口実とした消費税増税、憲法改悪のチャンスだと『大連立』の動き。政治の暴走には大反撃を」と呼びかけました。
平岡九条の会は13日、登別市に昨年オープンした「知里幸恵 銀のしずく記念館」を訪ねました。会員7人と、童話作家で長沼町在住の加藤多一さんが参加しました。
同館は、初めてアイヌの物語を文字化した『アイヌ神謡集』を著し、19歳で生涯を終えた知里幸恵(ちりゆきえ)の業績と生涯を紹介し、人々の交流と文化の伝承の場となることを願い、作家の池澤夏樹氏や小野有五北大教授らの呼びかけによる全国の人々の募金で建てられました。
参加者は大きな歓迎を受け、幸恵の姪に当たる横山むつみ館長らの案内で展示資料を観覧。幸恵の業績や母・ナミ、叔母・金成マツの生涯を学びました。
研修室でアイヌ伝承のお茶とお菓子が振舞われ、横山館長の夫で漫画家の横山孝雄氏らの案内で、館周辺の森を探訪。幸恵の父・高吉が取り寄せた樹木の紹介を受けながら、アイヌのくらしなどを偲びました。
参加者一同は、館を運営する人たちとの親しい交流に感激しつつ帰路につきました。
2009年までの12年間、「自然エネルギーで町づくりをした」前高知県梼原(ゆすはら)町長の中越武義さんの話を「朝日新聞」で読みました▼1999年に、税収3億円の町で2億2千万円をかけ、風車2基で発電を開始。その電力を四国電力に売って得た年間4千万円の収益を、環境基金として積み立て、他の自然エネルギー採用の財源にするという循環をつくり、風力から太陽光、地熱、小水力、バイオマスと次々に実現▼町民から公募した18歳から74歳までの委員の思いを前面に立て、町民自身が考える体制。この委員15人に欧州を視察してもらい、街づくりの提案を得たといいます▼原発から自然エルギー利用に変換していかなければならないとき、私の背中を押してくれる話です。(秀)
「清田区新聞」11年06月19日付より